早期退職して半年、なぜか消えない「虚しさ」の正体
2026年6月に地方公務員を早期退職して、もうすぐ半年が経とうとしています。生活費は投資運用でまかなっていく予定で、資産も4,000万円ほどありますので、正直なところ、お金の不安はほとんどありません。傍から見れば、悠々自適なセカンドライフを送っているように見えるかもしれません。
それでも、ふとした瞬間に、説明のつかない虚しさに襲われることがあります。今回は、そんな経験について、同じような感覚を抱えている方も多いのではないかと思い、正直に綴ってみたいと思います。

ジムとAI学習と電気工事士——充実しているはずの毎日
今の生活リズムは、我ながらなかなか規則正しいものだと思います。午前中はジムで筋力トレーニングをして体を動かし、昼はAIやブログについて学習し、夜は電気工事士の資格取得に向けて勉強する。時間の使い方だけを見れば、むしろ会社員時代よりも充実しているとさえ言えるでしょう。
新しいスキルを身につけている実感もありますし、体も少しずつ変化してきています。頭では「これでいい」「順調に進んでいる」とわかっているつもりです。
きっかけは地震や誰かの死——「頑張っても意味がない」という感覚
ところが、地震のニュースを見たときや、誰かが亡くなったという話を耳にしたときに、ふと気持ちが沈み込んでしまうことがあります。「どうせ人は最後には死んでしまうのだから、こんなに頑張っても意味がないのではないか」——そんな考えが頭をよぎるのです。
筋トレも、資格の勉強も、ブログを書くことも、すべてが一瞬で色あせて見えてしまう。そんな感覚を味わったことがある方も、少なくないのではないでしょうか。
「お金があれば安心」という思い込みが崩れる瞬間
早期退職やFIRE(経済的自立と早期リタイアを目指す考え方)を検討する際、多くの方が「いくら資産があれば安心して暮らせるか」を気にかけると思います。私自身も、そこを一番の判断基準にしてきました。実際、生活費の見通しが立ったことで、日々の暮らしに対する不安はかなり小さくなったと感じています。
けれど、資産が想定通りにあっても、心の落ち込みが消えるわけではないのだと、退職してから実感するようになりました。
生活費の不安がないのに、なぜ心は落ち込むのか
お金の不安と、心の落ち込みは、どうやら別のレイヤーの問題なのだろうと思います。生活費という「生きていくための土台」が整っていても、「何のために生きているのか」「頑張ることに意味はあるのか」という問いは、また別の場所からやってくるのかもしれません。
ミッドライフクライシス(中年期に訪れる心理的な危機)について調べてみると、体力の変化や社会的な役割の変化がきっかけになるとされることが多いのですが、経済的な安心があってもなお訪れる虚無感については、あまり語られていないように感じます。
「結婚すれば」「子供がいれば」解消するという定説への違和感
ミッドライフクライシスについて調べていると、「結婚したり子供を持ったりすれば解消される」という情報を目にすることがあります。たしかに、家族というつながりが心の支えになるという考え方には、一定の説得力があるのだろうと思います。
ただ、今の日本の社会状況を踏まえたとき、それを単純に「正解」として受け止められない自分もいます。
少子化と重税の中で、子供の幸せな未来が見えにくいという現実
少子化が進むなかで、社会保険料や税金の負担は今後も重くなっていくのではないかと感じている方も多いのではないでしょうか。そうした社会構造のなかで、これから生まれてくる子供たちが、手放しに幸せな未来を歩めるとは、正直なところ想像しづらい部分があります。
もちろん、これはあくまで一つの見方であり、子供を持つことの価値を否定するものではありません。ただ、「子供を持てば解消する」という一般論を、そのまま自分の答えとして受け入れることには、どうしても違和感が残ってしまうのです。
結婚・子供がなくても、別の形でつながりや意味を持てるという視点
結婚や子育てだけが、人とのつながりや人生の意味を支える手段ではないだろうとも思います。友人関係やコミュニティ、仕事を通じたつながり、あるいは今取り組んでいるような学びや挑戦そのものが、緩やかに自分を支えてくれることもあるでしょう。
どの形を選ぶにせよ、「これさえあれば解決する」という単一の正解があるわけではなく、いくつかの選択肢のなかから、自分に合うものを探っていくしかないのかもしれません。
ミッドライフクライシスとは何か——心理学的な整理
ここで一度、ミッドライフクライシスという言葉そのものを整理しておきたいと思います。ミッドライフクライシスとは、人生の折り返し地点にあたる40代から50代頃に訪れやすいとされる、心理的な危機のことです。体力の衰えや健康面の変化、子育てや仕事における役割の変化などをきっかけに、これまでの生き方や価値観への疑問、将来への不安といった形で現れるとされています。
早期退職やセカンドキャリアへの移行も、生活環境の大きな変化の一つですので、このタイミングでミッドライフクライシス的な感覚に直面する方は、決して少なくないのだろうと思います。

虚無感と、どう付き合っていくか——いくつかの向き合い方
虚無感を完全になくす「特効薬」のようなものは、おそらく存在しないのだろうと思います。それでも、日々の中でこの感覚と付き合っていくためのヒントはいくつかあるように感じています。ここでは、一つの正解としてではなく、選択肢の一つとしてご紹介します。
日々の習慣が心の土台になる——ジム・学習・スキル習得という選択
私の場合、ジムでの筋力トレーニングや、電気工事士の資格取得に向けた勉強といった日々の習慣が、ある種の心の土台になっているように感じています。虚無感そのものが消えるわけではありませんが、目の前にやるべきことがあることで、気持ちが立て直しやすくなる、という感覚はあります。
もちろん、これは私にとっての一つの方法であって、他の方には別のやり方が合うこともあるでしょう。ボランティア活動や趣味のコミュニティに参加するという方法もありますし、これまでの人生を振り返って自分の価値観を整理してみるという方法もあるかもしれません。
誰かに話す、専門家に相談するという選択肢
一人で抱え込まず、家族や友人に話してみることも、一つの選択肢だと思います。また、実存療法(人生の意味や死といったテーマに向き合う心理療法のアプローチ)のように、こうしたテーマを専門的に扱うカウンセリングも存在します。誰かに話すことで、自分だけの感覚だと思っていたものが、実は多くの人が抱えているものだと気づけることもあるのではないでしょうか。
「意味」を求めすぎなくてもいい、という考え方
「頑張っても意味がない」という感覚に襲われるとき、その根底には「人生には明確な意味がなければならない」という前提があるのかもしれません。けれど、必ずしも大きな意味や目的を見つけなければいけないわけではなく、その日その日を丁寧に過ごすこと自体に価値があるという考え方もあるでしょう。
人はいつか死ぬという事実は、誰にとっても変えようのないものです。だからこそ、その事実とどう折り合いをつけていくかは、人それぞれ違っていいのではないかと思います。
まとめ——同じ苦しさを抱える私たちへ
資産があっても、生活が充実しているように見えても、ふとした瞬間に虚無感に襲われることがあります。今の私は、幸せというより、苦しさや生きづらさを感じることの方が多いというのが正直なところです。
結婚や子供を持つことが、ミッドライフクライシスの唯一の解決策だとは、今の私には思えません。むしろ、明確な答えが出ないまま、日々の習慣や小さな挑戦を積み重ねながら、少しずつこのテーマと付き合っていくしかないのだろうと感じています。
同じような苦しさを抱えている方も、きっと少なくないはずです。このブログでは、そうした感覚を一人で抱え込まず、一緒に考えていけるような場所を目指していきたいと思います。


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